とっても素敵なほけんの話

ほけんにはとっても不思議なチカラがあります

ネコふんじゃった、、、弾けますか?

ピアノを習ったことがある人、、、


習っていなくても、身近にピアノがあった人なら、


だれでも弾ける曲の一つとしてあげられる曲に


「ネコふんじゃった」があるのではないでしょうか。


実は私も昔、ピアノを習っていて、


メリーさんの羊、ロンドン橋、そしてこの「ネコふんじゃった」なら、今でもどうにか引くことができます。


難しい曲というには、程遠く、


黒鍵ばかりを使うため、どちらかというと、イタズラみたいな曲だったりするのです。


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先日私は、女性の友達のお母様の葬儀に参列してきました。


彼女には、2人の男の子がおり、上の子はたしか来年中学を卒業するはず。


葬儀に、一区切りつき、何杯かのビールをあけた後、


彼女は、照れ笑いしながらも、、、目にうっすら涙を浮かべて、


意外な話しをしたのです。


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「あたし、、、中学生くらいまで、


“ねこふんじゃった”が、一番難しいピアノ曲だと、信じ込まされてたんだ。。。。。。母親に。。。」


それは別に、母親を憎んでいるというのではなく、


逆にとても愛おしい存在の、愛を確認するかのような口調で、信じ込まされていた旨を告白したのだ。


ネコふんじゃった」が、簡単な曲であることなど、ピアノを習っていれば、


小学校高学年になればだれでも分かること、、、


低学年でも、少し進んだ子供なら、分かるだろう。


なのに彼女は、中学生くらいまで、難しい曲だと信じ込まされていたというのだ。。。


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実は彼女の父親は、過労が原因で、彼女が小学校に上がってすぐに亡くなっている。


彼女は、父親が亡くなってしばらくして、それまで習っていたピアノのレッスンを“卒業”した。


亡くなる前に、彼女のネコふんじゃったを絶賛し、、、彼女は機会があるこごとに、


父親の前でネコふんじゃった」ばかり弾いていたのだという。


そうした様子をみていたためなのか、彼女の母親は


「あなたは、ネコふんじゃったを、とても上手に弾けるようになった。


この曲は、大人でもなかなか弾けない曲。


だからお父さんも、あなたが弾けたときに喜んでいたでしょう、、、


だからもう、厳しいレッスンを受けないでもいいのよ」


といって、彼女のピアノレッスンを打ち切ったのだという。


その時の母親の表情は、、、「卒業」という喜んでいいはずのことなのに、

泣きそうな顔で、しかも、それまでに見せたことのないような、

子供の自分に対して深く詫びているような、それまでに見せたことのない表情だったといいます。


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父親が亡くなって、生活を切り詰めていたのは、子供心にも感じていたという。


ピアノのレッスンに、お金がかかっていたのも、すでに分かっていた。


それでも、ネコふんじゃったを弾くたびに、父親が絶賛してくれたこと、、、


そして、母親が、それがすごいことだったと言ってくれたこと、、、


彼女は、それを信じて成長し、中学生になったのだという。


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彼女は社会人になってからピアノを習い直し、


クラッシック曲から、流行曲まで、かなり自在にピアノを弾けるようになっていた。


そうしたのを見るにつけ、


先日亡くなった母親は、なんとなく荷が下りたという表情で、演奏する彼女を眺めていたという。


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すでに2児の母親となった彼女は、、、


父親がなくなって生活が苦しくなり、娘にウソをついてまでピアノを止めさせるというのが、どれほどつらかったか、、、、想像しながら、涙をながしていた。


父親が喜んでいた「ネコふんじゃった」を難しい曲だ、といって、「卒業」させたことに、どれほど罪悪感を感じただろう、、、、


そして、娘が自力でその壁を越えてくれたことがどれほど嬉しかっただろうか、、、


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もちろん、彼女のお父様も、保険に入っていたのです。


しかし十分な保障にほど遠く、どうにか彼女と、彼女の弟を高校に行かせ、生活を続けるのも厳しい程度しかなかったのです。


彼女の母親は、苦渋の選択で、彼女にピアノをやめさせ、生活を続けたのです。


彼女は、幼い頃になくなった父親も、また、それから少ししてピアノをやめさせた母親も、憎んではいません。


むしろ、感謝しています。


しかし、私は、胸が裂けそうに痛いです。


お父様が亡くなる前、彼女の両親に出会えていれば、


ご家族の希望を、きちんとうかがえていれば、


彼女のお母様に、つらいウソをつかせることもなかったでしょう


彼女が、ネコふんじゃったを、もっとも難しい曲だ、なんて想わせることなどなかったでしょう。