とっても素敵なほけんの話

ほけんにはとっても不思議なチカラがあります

使命

自分はこれまで、いくつかの仕事をしてきたが、自分の使命を最も明確に答えられるのは、今やっている仕事だ。


アルバイトを除き、最初に就いた仕事は、マスコミの記者だった。


そこで使命と感じていたことを思い出すと、、、


少しでも多くの人に、正しい情報を、正確に、迅速に伝える。


それと同時に、深く考察し、専門家ならではの「気づき」を与える。


といったことだったように思う。


しかし、それがどれほど大切で、なくてはならないかどうか、、、


その存在価値はどうなのか?と聞かれると、ぶれるような気がする。


やがて私は、会社という組織を離れ、自身で仕事を作り、


さまざまなメディアで仕事をするようになった。


そのときの使命も、上記とほとんど同じだが、


「クライアントのビジネスを盛り上げる」という若干目先のことを重視した考えが使命にも含まれていた。


とにかく、クライアントに喜ばれる仕事をしたかった、というのが事実だった。


そして次の仕事として、採用支援サービスをする企業で、クライアントのwebサイトを企画・運用した。


ここでは、サイトを見る側のメリットなどは考えなくなっていた。


世の中の、「大勢」ではなく、あくまでも中心はクライアントだった。


クライアントがいかに素晴らしい人材を獲得できるか、、、、そのために、どのような内容のサイトを作ればよいか、、、、


自分の使命は、クライアントが望む人材を、より早く、よりフィットする人材を、獲得する採用ソリューションを提供する、ということだった。


今考えると、非常に局所的な、視野の狭い仕事になっていた気がする。


・・・


ここまで、読んでいただいて、ありがとうございます。


私の、今の仕事で、使命として感じていることは、


世の中の不幸を減らすこと


とても大上段に構えた、えらそうな発言だと、自分でも思っています。


しかし、そうしたことができる仕事にやっと就けたと思っていることも事実です。


このブログを読んでくれているすべての人、、、


そして、もちろん、目にしていない人たち、、、


さらには、使う言葉さえ違う人、、


飢餓、病(やまい)、貧困、差別、宗教弾圧、戦争、クーデター、災害、、、、


さまざまな不幸を未然に防ぎ、不幸を起こらなくしてしまうことが、


私の使命、、、、私たちの使命だと、信じています。


保険て、、、、そういうものだと思っています。


悪いことが起こる前に、、、、悪いことを想像させる前に、、、、


その悪いことの芽を摘む、、、、


悪いことの種をつぶしておく、、、、


悪いことがおきても、、、備えられているよ、、、、という状況を作っておく、、、、


それが我々の仕事。


それが、我々の使命。


世の中の不幸がなくなれば、、、、我々の使命が果たせたと感じる。


世の中、、、、不幸は、、、多くの場合、、、豊かではない人たち。


経済的な弱者、、、、、


それと、、、情報についての弱者、、、たとえばお年寄り、、、


これら弱者の不幸を取り除く、、、、


安心して、楽しい生活を送ってもらう、、、、


世の中のすべての人、、、、、


というのは、無理としても、、、、私の周りのすべての人には、、、、不幸でいてほしくない、、、


不幸になる可能性を、本人より早くみつけて、、、それをつぶしてあげたい、、、


それが、私の使命だし、、、


そうしたい、と強く願っている。


これは、今までの仕事では、思ってもいなかったほどの強い使命感だ。


これほど、強い使命感をもって仕事ができるのは幸せだと心から感じる。


残念なのは、、、、


人に不幸な状況を考えてもらえないと、、、私の仕事の必要性わかってもらえないこと。。。


だれでも、自分の、、、自分の家族の、、、不幸な状況は考えたくない、、、、


だから、私は煙たがられる、、、、、


それは仕方がない、、、、でも、、、親しい知人、、、友人と思っていた人から、、、、


煙たがられるというのは、、、結構つらいものだ。。。。