師走(しわす)
今は、この文字通りの師が走るとき。
師匠の僧が、お経をあげるために、東西を走る、、、、、
今は、とても悲しいことに、そのような状況になっている。
しわす、という言葉には、
年が果てる、、、から、「としはつ」→「しわす」となったとか、四季が果てるから「四極(しわす)」となったという説もありますが、
一般には12月の年末を指したりするわけです。
でも、今は本当に、全国から僧侶が東北に向かい、東奔西走して、
悲しみに明け暮れる遺族を癒し、
亡くなられた方を弔っているのです。
もちろん、宗派にもよるでしょうし、その僧の考えや事情にもよるでしょう。
しかし、多くの僧が被災地に向かい、亡くなった人を弔っているとのことです。
保険会社である我々や、レスキュー隊など、生きる人を救う活動も表にはありますが、
あまり日のあたらない影のところには、こうした僧侶たちの活動もあるのでした。
こうしたことを知るにつけ、私はこれまで考えていたことを、より一層強く思うのです。
自分が普段していることを懸命にやること、それが非常時に、自分のできる最善の行動なのだと。
僧侶がお経を上げられるのは、僧侶の衣服、宿泊場所を用意できるから。もちろん、食べ物なども。
そして、それらの衣食住は、それぞれを支える人が、その支える人は、さらに誰かに支えられれて、、、、
人々には、与えられた役割があると思います。
もっと言えば、この世にあるすべてのものには、すべてそれぞれの役割があると思うのです。
道端の小さな小石にだって、その下に虫を隠す役割をしているかもしれないし、
誰かがつまずいて転ぶかもしれません。
もし、そこに虫が隠れられなかったら、、、人が転ばなかったら、、、
世の中が大きく変わってしまったかもしれません。
人々には、自分では分からないかもしれない大切な役割を負っているのだと思います。
それを全うすることが、その人に与えられた使命なのだろうと思います。
なんだか、僧侶の話で、はじめたら、全体的に宗教的な話になってしまいました。