とっても素敵なほけんの話

ほけんにはとっても不思議なチカラがあります

BUDDHA(ブッダ)の教えと生命と保険

5月28日、映画「手塚治のブッダ 赤い砂漠よ!美しく」が公開される。


仏教の祖となった人物、ブッダ(シッダールタ)の生涯をマンガ化した「ブッダ」の映画である。


すでに手塚氏は亡くなってしまったが、その作品を素に映画化したものだ。


なぜこの話題を取り上げたかといえば、私が手塚治を好きだったからだ。


小学生の頃、「ブラックジャック」に出会い、


その強いヒューマニティーに惹かれ、新しい巻がでるたびに買ってもらい、


読みふけったものだ。


そこで学んだのは、世の中の正義と、本当の正義、自身が考えている正義は、


必ずしも一致しないというものだった。


ブラックジャックは違法行為を犯している。


医師免許をもたずに医療行為をして、法外な請求を突き付ける。


しかし、人間性に基づいた行動をする。


よく、私の親も、一歩間違えば違法行為を勧める内容を、私に読ませてくれたものだ。


しかし、私の親自身、しばしば自分の行動について、


間違っていたことを語ってくれた。


世の中全体が、太平洋戦争万歳!の風潮で、

自分も、戦争に行けないことをとても苦しんだという。

敵兵をやっつけられないことをつらいと思っていたという。


しかし、それら自体、戦後になって、間違っていたことを悔やんだ。


正義というものが、幻想だったということを思い知らされた、というのだった。


そうした意図があってなのかどうか、私にはブラックジャックを読むことを許された。


後年になってブッダを読むことも、特にもんだいがあろうはずはない。


ブッダでも、ところどころ、「何が正しいのか」、「なにが正義なのか」、

立場によって変わってしまう部分が多々、現れる


仏教に敵対する他の宗教、もちろんシャカ族を滅ぼそうとする他の国、


それぞれには、それぞれの道理があり、それぞれにおいて正しい。


さらに衝撃的なのは、シャカ族から離れたブッダが、

自分の出生のシャカ族を正しくないとして見捨てるシーン。


自分の起源でさえ正しくないとしなくてはならないことがあるということ。


先に述べたように、私の親は、戦争万歳だった自分を悔いている。


しかし、その親、、、つまり私の祖父は、もっと強烈な意思をもった人だった。


私が生まれてまもなく亡くなってしまったため、あまり交流はなかったが、、、


まさに、日本を第二次世界大戦に導いた団体に属し、


新聞にも載ったような人だった。


かつて彼は英雄だった、、、、


当時は、多くの人が、彼や、彼の団体を支持していた。


しかし、後々、彼は間違えていたことになってしまった。


彼の人生自体、周囲からは否定されることになった。


彼としては一本の筋は通っているだろう。


思ったことを、一生貫いたのだ。


世の中も、間違えているわけではないだろう。


「それでも地球は動いている」とつぶやいたガリレオ-ガリレイも結局は処刑されてしまう。


ブッダも、時代の波に流されて、何度も悪者にされてしまう。


日本国自体、国際社会の中で過去の日本は悪者にされてしまったこともある。


自分の力では、どうにもしようがない部分が多くあるのだ。


自分が正しい道を進んでいると信じて、貫けば、現在は分かってもらえなくても、

将来、見返したときに、分かってもらえるときもあるのだろう。


それと、自分でどうにもすることができないことについて、

保険は絶対に役に立つ。


ブッダが映画化されることについて、ちょっと考えてみた。