正論と効率と、年齢と
保険はお金を受け取ることを考えるのが大事、、、、、ehokenです。
最近は、節電をテーマにした記事や番組、番組内のコーナーが花盛りだ。
こうしたものを見て、最近思ったのは、
「効率的」という言葉も、発する人間、受け取る人間、それぞれどんな人なのか、というところで、
意味が違ってくるという点。
考えさせられたのは、クーラーの風向きを、上(水平)にするか、下向きにするか、という話題。
部屋を効率よく涼しくするには、水平とか、上向きにするのが良い、というのが理論的な正解だ。
部屋の温度を均一にして、むらなく涼しくするには、上の方の空気から冷やすのが定石だ。
私も、つい最近までこうしてきたし、いまでも狭い部屋ではこうしている。
しかし、「部屋全体」というのが、最近ひっかかるようになってきた。
はたして、天井付近の温度を下げる必要はあったのだろうか、、、、、
壁の高いところについている蛾の周辺を涼しくする必要があるのだろうか、、、、、
涼しくしなくてはならないのは、部屋ではなく、部屋にいる人間だけではないか、、、
つまり人間の周囲の空気だけ涼しくすれば良く、効率的に涼しくするには、
風向きを決める羽は思いっきり下向きで、風のあたるところに人が行けばよい。
部屋全体がどんなに暑くとも、その人(たち)が、とても涼しければ、
それが最も効率的なのだろう。。。
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残念なことに私は若い頃、そうした考えをもてず、正論といわれるものを、振りかざしてきた。
今はやっと、正論以外でも、その人にとって、、、、個々の事情で、、、、最も効率的な方法を理解したり、逆に提案できたりするようになった。
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保険にも、やはり正論とか、王道は存在する。
「こうするのが理想」という姿がある。
しかし、それがその人にとって、最も効率的なお金(保険料)の使い方だろうか、、、、と考えると、、、違うように感じることがある。
もらえる金額が低く、思い描いてる姿にならなくても、その人にとって納得するものであれば、それが最も役にたつ保険であり、効率的な保険になるのである。理想とかけ離れていても、その人にとってはそれが最高なのだ。
若い頃は、どうしても理想を全員に押しつけようとする傾向があった。しかし自分がある程度の歳になり、これから働ける年数と、これまで働いてきた年数とが、逆転したりすると、「もう正論を追い求めても、達成するころは、残り数カ月とか1年とかになってしまう。ならば、正しくないのは分かるけど、より効率的にするのがよい」と思えたりする。
寂しいことだが、現役と言える年数は、刻一刻と短くなり、追い求めた理想を次々と諦め、今やれること、達成できそうなことを優先的に進めている。目の前の人、お客さんを幸せにしていくのが最優先になり、保険業界全体とか、文化とかを変えようなんていうのは、徐々に目的から外れていく。とても寂しいことなのだが、、、、しかし、、、、意識としては、文化を変えるという目標を捨てないようにしたい。。。