感動しない人々 | 美し国 に くらす人
今日は、某経営者の集まり主催の、講演会に行ってきた。某有名自動車部品販売会社の創業者の話だった。
なんという会社か分かってしまう?
いろいろと元気づけられたり、勇気づけられたり、知恵になることを聞かせてもらったのだが、今の自分が一番反省させられたことは、次の言葉だった。
「 大きな努力 で 小さな成果 」
これに耐えられるようになろう。
とのこと。
この方は、
「自分には、学も、経歴も、つてもない、、、そんな自分だが、
だれにも負けないと思えるものがあった。
それがあったから、どうにかやってこられた。
それは、忍耐だ。」
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もし、同じ話を聞いていた人がいたら、
「そんなこと話してないよ。
まったくのミスリードだよ、、、、。」と言われてしまうかもしれない。
実際、主題は別のところにあった。
しかし、私には、この部分が滲み入った。
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なんだか最近、効率を考えてもがいていたのかもしれない。
・効率を良くしようと考える
↓
・無駄を省いたつもりで、作業量を減らす
↓
・作業量が減ると、作業が下手になる
↓
・下手になると、効率が悪化する
↓
・効率を良くしようと考える
といった具合に、効率化の逆スパイラルに落ち込んでいたのかもしれない。
今日からは。効率の悪い方へ悪い方へ、敢えて進めても良いかも、
と考えようと思う(なんだかMだなぁ)。
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また、この方は、
「最近、世の中から感動が減ってきている」とも語った。
「自分が子供のころ、若いころ、
高度成長期、それ以前、世の中は感動であふれていた。
日々、楽ではない暮らしのなか、感動は今より多くあった。」
とのこと。
この原因として、
感動は、努力・忍耐・苦労が材料になっている、と言う。
何も苦労せずに手に入れた楽な暮らしには、感動がない。
しかし、毎日汗水垂らし、長い期間かけ、暑い日も寒い日も、
面倒をみてきた畑で野菜が採れたとき、
暑い時期に、汗をぬぐいながら、みずみずしい野菜をかじったとき、
大きく感動するわけだ。
たぶんここも、この話を聞いた人は、
それが言いたかった話じゃないと言うだろう、、、、。
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さらに、この方は、日常の話しもした。
やはり、それなりに財をなした方、それなりの地域に住んでいる。
そこで、毎朝の風景として、ごみ捨て場を整理して掃除してくれているおじいさんがいて、
見かけるたびに、車からおりて、お礼を言うのが日常化していたとのこと。
しかし、そのおじいさんは、人嫌いのようで、お礼の挨拶に返事もない。
彼は、それに対してなんとも思わずに、お礼し続けた。
やがて、、、、そのおじいさんが亡くなった、、、、
その方のところには、そのおじいさんの奥さまが来て、
「掃除が終わって家にかえると、
『毎日お礼をいってくれて、とてもうれしい』と話していたのだ」とお礼を言われた。
ここも、この話を聞いた人は、あきらかなミスリードというだろうが、、、、
大きな努力で、小さな成果、、、に耐えたのち、、、、
努力があったからの感動、、、、奥さまの言葉による喜び、があったのだろうと思う。
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ちなみに、、、、
本来のストーリーは、
日本を美しくしていけば、
世の中が良くなっていく、、、、
という流れなのだが、、、、
私は、かなり曲解して、、、、自分にいいように、吸収させてもらいました。
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この話しを聞くために、ほとんど何も努力しませんでしたけど、、、、感動しました。